平成25年 田峰観音奉納歌舞伎 第五幕は

ピチピチーズ

2013年02月08日 00:28

『恋女房染分手綱 重の井 子別れの場』
(こいにょうぼう そめわけたづな しげのい こわかれのば)


このお話は諸説あるようですが、宝暦元年(1751年)、吉田冠子、三好松洛の合作で全十三段。
そのご近松門左衛門によって改作され、宝永四年(1707年)に初演された「丹波与作待夜の小室節」のうち、
十段目が「重の井子別れの場」となっています。

この歌舞伎は、田峰観音奉納歌舞伎でも度々上演され、人気の外題となっています(*´∀`*)
ちなみに、平成12年12月3日に「ふるさとの風流と歌舞伎(愛知県技術劇場)」で谷高座が上演したもので
インターネットで配信されています。
 ※PC環境によっては観ることができないようですが・・・(゚д゚lll)

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10028762/0/index2.html

[あらすじ]

由留木家(ゆるぎけ)の息女調姫(しらべひめ)は関東へ下って入間家(いるまけ)へ嫁入りすることになりましたが、
幼い姫(10歳くらい?)は父母に別れて東国へ下りたくないので、出立の間際になって「いやじゃ」と言い出します。

「いやじゃ」「いやじゃ」と繰り返すところから『いやじゃ姫』なんていう愛称があります(*^o^*)

乳母の重の井が「そんなことではワタシが腹を切らねばなりません」と脅したり、
家老の本田弥三左衛門(全身、赤い拵えだから通称「赤ジジ」)が、東海道の様子を面白おかしく
長ゼリフでお話ししたりして調姫のご機嫌をとろうとしますが、「いやじゃ」と駄々をこねます(><)

そこで姫の機嫌を直すために呼び込まれたのが、自然薯(じねんじょ)の三吉と名乗る子供の馬子。
三吉は道中双六を披露し、調姫は双六にも勝って機嫌を直し、「東へ行こう」と言いますヽ(*゚ω゚)ノ

ご褒美に、三吉にお菓子とお小遣いを与えようとした乳母重の井は、三吉の身の上噺を聞くうちに、
この子が、伊達与作との間にできた実子、与之助であることを知ります。

由留木家に仕える能楽師竹村定之進の娘「重の井」は、家老伊達与三兵衛の息子「与作」と恋中になり、
与之助(三吉ね)という子を設けましたが、不義が顕れるのを恐れて、乳母に預けて育てさせていました。 
ところが与作は公金を奪われて追放となり、重の井との不義も露見してしまい、重の井はお家の禁を犯した
咎でお手討ちと決まりますが、父親の定之進が身代わりに切腹をして娘の命乞いをしたので、主人の情で
許され、姫君の乳母に取り立てられます。一方与之助は、乳母が亡くなり、その息子で馬方の一平が、
父の与作を探しに出たので、与之助(三吉)は地元の人たちの援助で馬方となったのでした。

そうした事情があるため、今、三吉と母子の名乗りを上げるわけには行きません。もし、調姫の乳母に
馬方の子がいるとなれば、今回の縁談にもひびきかねません。この結婚は政略結婚ですから、
不調となってはお家の存続にも関わります。
重の井は泣く泣く三吉を追い返し、調姫と共に東へと旅立つのでした。

まあ・・・(;Д;) 
これだけあらすじを事前に勉強しておけば、
あとはハンカチ握りしめて、
声を出さないように泣いて観るだけです・・・(´;Д;`)

お母さんの複雑な立場や、三吉の不憫な境遇をしっかり理解していなくても終盤の、
母として一緒に暮らすことはできないけど、せめてお金だけでもと懐のお金を渡した後の、

「えー胴欲なカカさん(母さん)、よう覚えて、いらっしゃれや!はぁぁぁ~・゜・(ノД`)・゜・」

って三吉のセリフで、お芝居とわかってても、やっぱり泣けてしまいます(;_;)


三味線も長唄もすごく良い演目です。


最後に三吉が涙ながらに歌う唄も泣かせますよ(T ^ T)
「坂は照る照る鈴鹿は曇る」 
さーかーはー てーるぅ てーる   すーずーかーわーくーもーるぅぅぅ・・・

してその後は?(それで、その続きは?の意味)と家来衆が促すと、

三吉「あ、あーいー」

 (間の土山雨が降る 降る雨よりも親子の涙 中に時雨る雨宿り )

 いーですよー(TωT)ウルウル  是非 観に来て欲しいです。

 ※上演予定時刻は 17時30分~18時30分頃です。

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